玉石の軽重を問う、あるいは次元の谷を越えてゆけ。
テニスの王子様信者で超絶夢女の私が、8月14日にサマバレ特番*1を見て以来、
VRライブに向けてちょいちょい考えていたことがあるので書きます。
初稿にしてテニスの王子様への愛が激重なので、信者としての自己紹介はこれでバッチリなはず。
2017年バレンタインチョコ獲得ランキングの結果*2*3を見て、
おそらく多くのファンが思ったであろう、
『一人の100個と、
100人の一個は、
どちらの方が価値があるのか。』
ということ。
互いの健闘を讃えあいながらも、8月14日以降、結果分析と同じくらい、上記のことに頭を使っている方もいらっしゃるのでは。
私は、同時にこうも思った。
「一人の熱狂的なファンが付いてることと、
100人のそこそこの熱のファンが付いてること、
どちらが今、テニスの王子様にとって大事なんだろう。」
私たちは、テニスの王子様たちに恋をしている。
王子様の誕生日には、お祝いでケーキを買ってパーティーを開催し、
何ならホテルディナーだってする。
テニミュ観劇となったら合コンよりめかしこんで行ったりする。
旅行だって一緒に来てることを想像する。自撮りの隣には彼がいる。頭の中では。
そんなんだから当然、バレンタインに本命チョコもあげる。
全部、恋する気持ちからきていて、本気だから、この夏、お返しを貰えて皆で泣いた。
漫画のキャラクター。架空の存在。想像上の生き物。
全部分かってて、それでも、この世界のありとあらゆる人の中で、私は跡部景吾が一番かっこいいって思う。
ほんとにずっと一番好きだ。
だって、彼が笑えば胸があたたかくなるし、悔しがれば力になれない自分が歯痒くなるし、彼の努力が花開けば自分の出世より断然嬉しい。
笑われても、否定されても、これら感情の色とりどりの動きを体感している私には、
偽物や架空のものだと思えない。
やっぱり、私は跡部景吾に恋をしている。
このような感じで、15年やってきた。
時折ふらつくこともあるけど、どこでつまみ食いしても、跡部が一番なのは揺らがないのは自分でもすごいなぁと思う。
跡部景吾、すごいなぁ。
ただ、ちょっと、いやだいぶキてる私だって、元より跡部景吾を、テニスの王子様たちを、現実に存在するとは本心では思えていない。
(「テニスの王子様たちは”いる”んです」*5と存在に言及することこそが、悲しい哉、非存在の証明にもなってしまっていると思うから)
けど、
「”現実に存在していない”と言えるのはなぜなのか?」
とは、ずいぶん前から疑問に思っている。
たとえば、遠い昔に死んでしまった実在する人達、歴史上の偉人と呼ばれる人達だって、今、リアルタイムで直接触れ合ったり、言葉を交わしたりすることは出来なくて、ただ資料に残っていたり、子孫がいらっしゃったり、そういう「周辺の事実」がその存在を立証しているわけで。
史実や逸話を掻き集めては、その人達の偉業に感動し、その人達の思想に共感し、その人達の人柄を慕う人もたくさんいるわけで。
たとえば昔の人達じゃなくても、遠く離れた国に暮らす人達、アフリカの砂漠やアマゾンの奥地に暮らす人達とも、私は直接は会えないわけで。
でも、確かにそこにいて、生きていることを私は知っているわけで。
じゃあ、跡部景吾は?
テニスの王子様たちは?
紙の上の存在だけど、でも。
跡部景吾というキャラクターが作られた。
名前がある、性格がある、生い立ちがある、人物像がある。
私はそれを知っている。
原作が、アニメが、ミュージカルが、そして、私たちファンが、
それって、今や、テニスの王子様というジャンルの一つ一つの拡がりが、
それを知覚する私たちファン一人一人が、
テニスの王子様たちがこの世界に”いる”ための、
「周辺の事実」の一部になってるってことなんじゃないかな。
私たちファンの存在こそが、
テニスの王子様たちを存在させるってことなんじゃないかな。
私はそう思う。
原作、アニメ、ミュージカル…
許斐先生は、
色んな展開を手段に、
私たちファンすらも利用して、
テニスの王子様たちを現実化する為の
壮大な錬成陣を描いているんじゃないか。
なんてことも、思う。
テニスの王子様は早い段階からメディアミックスに対してかなり進歩的な態度をとってきたジャンルで、少年漫画のミュージカル化に先鞭をつけたジャンルでもあるし、
今振り返ってみれば、キャラクターと作者のデュエット曲*6が描いてきた錬成陣の、ごく初期の象徴的な事柄だった。
(今や、キャラクター達が当たり前に作者と歌い、私たちファンに語りかけてくれる楽曲の端緒がここにあったとすると、あまりに重要すぎる一点)
ミュージカルにシーズン数が冠される前のジャンフェスで、ミュージカルキャストの試合の演技に声優がアテレコした瞬間から、肌身に感じていた、キャラクター現実化の為の仕掛けだったけど、本当はもっともっと昔から、
許斐先生は錬成陣を描き始めていて、
私たちファンが、ただキャラクターかっこよさにキャーキャー言ってた時代から、
来るべき非実在の障害を乗り越えるために、ずっと前から、許斐先生は手を尽くしてくれていたんだな。
恋した相手がこの世界に存在しないで泣く子がいなくなるように…
と、先生が夢女のことまで考えてくださってたかは定かではないけれど、結果的には、その途上にちゃんといるんだから、たまげる。
事あるごとに、「応援してくれるファンがいたから」だとか、「ファンが喜ぶ顔が見たい」だとか言ってくれちゃう先生だから、「ファンとキャラクターの間に立ちはだかる最大の障害を取り払う」くらいは考えてそうなのがこわい。
(夢女だから、「ボクらの前に 立ちはだかる全てのモノを打ち負かす」*7って、このことなんじゃ…?って、邪推したりもする。)
そんな許斐先生の錬成陣は、一人テニプリフェスタでVRという技術を手にして、一気に加速した。
きっとこれからはより先鋭化して、人(キャスト)に依存しないやり方での現実化も進む可能性もある。
さて、この錬成陣の中で、私たちは何ができるんだろう。
私たちは何をすべきなんだろう。
随分遠くまで思索してきたけど、チョコの話に戻って言うなら、
1人の100個も、100人の1個ずつも、どっちも等しく価値のある愛の証明なんだけど、
一人の100個より、
100人の一個より、
たぶん、私たちが目指すべきは、100人の100個。
一人100個チョコ贈るのノルマにしよーぜって話じゃないよ。
ファン全員が、全力で、心から、「テニスの王子様はいる」って信じるってこと。
ファン一人一人が、全身全霊をかけて、”王子様たちを存在させ得る”ありとあらゆるイベントに積極的に参加すること。
個人個人がなるべく多くテニス関連イベントに参加して、グッズをなるべく多く買って支えること。
ごくありふれた、当たり前のファン活動だけど、結局、それが一番難しくて、一番大事な気がする。長寿ジャンルでは、特に。
ファンの存在こそが、キャラクターの実在を証明する
この幸せなジャンルでは、
私たち一人一人の思いや役割は、きっと、とんでもなく
大きいから。
「漫画はキャラクターだ」*8を推し進める先生の執念の凄まじさ、
そして、非実在証明のはずの「テニスの王子様は”いる”んです」って言葉が、
ほんとに存在証明に変わる瞬間に我々は立ち会ってる。
いや、すご…
すごくない?
たぶん、まじで、テニスの王子様が存在する時代がくる。
3DCGキャラクターのSayaが不気味の谷を越えた*9ように、
たぶん、きっと、王子様たちも。
その日が来るまで、谷のこちら側から目を凝らして、みんなで声をあげて、諦めずにずっと手を伸ばし続けていたいなぁ。
テニスの王子様なら、許斐先生なら、私たちファンなら、絶対出来る気がする。
だから、これからはもっともっと愛を証明してこ!
ファン全員で、もっと熱狂的に好きをぶつけてこ!!
俺達なら できる!!!*10
そんで、そうやってがむしゃらに手を伸ばすその先に、
「遅ぇよ、バーカ」
ほらね。今日も私は、やっぱり跡部景吾に恋をしているんだなぁ。
と、思うのでした。
*1:ハッピーサマーバレンタインの略。テニスの王子様界での、王子様から、バレンタインチョコをくれた夢女へのお返しの日。かくして夢女は許された。発案:原作者・許斐剛。ニコ生特番が組まれた。
*2:ここ数年、上位には1,000個単位のチョコが贈られるテニプリ的一大イベント。物流も動く。協賛企業募集中。今年は、おそらく誰も予想していなかったダビデが1位。ファンの皆さんちょうおめでとう!!!
*3:くそーーーー!! ぬかったーーー!!! 来年は跡部が1位だからな!!!!!各員の健闘を祈るけど次は1位にするから!!!!
*4:ヤバイ。ちなみに夢女的初恋はホイッスル!の三上亮だった。同志はご連絡ください。
*5:2016年1月16日開催の許斐先生のソロライブ「許斐剛☆サプライズLIVE~一人テニプリフェスタ~」でのお言葉。会場中のファンが泣いた。
*6:2005年12月24日にリリースされた、越前リョーマのバースデーミニアルバム『PROGRESS』のカップリング曲「GO」のこと。進歩、前進、経過って意味がタイトルにつけられたアルバムに、この曲が入ってるのもまた象徴的だなあ。
*7:2009年8月19日リリースの許斐先生ソロデビューシングル「Smile」の一節
*8:2017年8月14日のサマバレ特番後の許斐先生のツイート。続いたポストで、「キャラクターそれぞれに人生がある」とのお言葉に全ファンが泣いた。自ジャンルが幸せすぎる。
*9:CG制作ユニットTELYUKA(テルユカ)によるフルCG女子高生キャラクター「Saya」が、そのあまりの精巧さから、従来のCGキャラクターを見たときに感じる違和感や不気味さ(「不気味の谷」)を超越して、ほとんど生身の人間に見えること。Sayaちゃんめっちゃかわいいから見て。
*10:このメンツならできる